攻撃を活性化させる超攻撃的SB
三家 秀馬 Shuma Miya
| 生年月日 | 2002年5月3日 (23歳) |
|---|---|
| 身長 / 体重 | 184cm / 74kg |
| 出身地 | 兵庫県川辺郡猪名川町 |
| 経歴 | 猪名川FC 猪名川FCアランテス 三田学園高校 FC SONHO 川西 |
PLAYER’S HISTORY
選手の歩み
初めての悔し泣きと、見つけた「自分の武器」
小学1年生でサッカーと出会い、4年生で猪名川FCに入団してDF人生が始まりました。当初はBチームで、後から入った友達がAチームに選ばれた時は、人生で初めて悔し泣きをしました。でも、その悔しさが僕のスイッチを入れてくれました。朝も放課後も、誰もいない公園でひたすらボールを蹴る日々。その努力が実り、Aチームへ上がれた成功体験は今の僕の土台です。中学からアランテスへ進み、そこで「自分のキックで試合が動く爽快感」を知りました。シュートを決めるより、自分のロングフィードでチャンスを創れることが何より嬉しかった。自分の「価値」を自覚した原点の時間です。
無謀な挑戦、逃げた自分の弱さ、そして得た財産
「出られる場所より、努力しても出られるか分からない場所で勝負したい。」高校サッカー選手権への強い憧れを胸に、三田学園高校へ進学しました。しかし、そこは別世界でした。1年生でAチームに引き上げられたものの、周りとの圧倒的なレベル差から、毎日のように自分のプレーがきっかけで怒られる日々。練習の雰囲気を悪くしてしまい、先輩や同期には本当に迷惑をかけました。高校時代で印象に残っているのは、高2の時のインターハイ県予選です。チームは優勝したものの、自分がフル出場したのはわずか1試合のみ。決勝はベンチからも外れ、登録人数が絞られる全国大会ではメンバー外になるという大きな挫折を味わいました。当時の僕は自分の武器を磨くことばかりに逃げ、守備や球際といった「弱さ」と向き合うことから目を背けてしまっていました。それでも、決してサッカーを嫌いになったり、投げやりになったりすることはありませんでした。それは、当時の監督が求めるプレーができずに苦しんでいた僕を評価し、寄り添ってくれた福島先生(現 三田学園高校監督)の存在があったからです。厳しい環境の中で必死にもがいた3年間は、間違いなく僕の「人間性」を一番成長させてくれました。総体での引退という決断を含め、自分の弱さに対する後悔はあります。でも、あのレベルの高い環境で逃げずに食らいついた経験があったからこそ、今は自分のプレーに自信を持ってサッカーができるようになりました。僕の高校サッカーを一言で表すなら、間違いなく「人生の分岐点」です。
戻るべき場所。僕を育ててくれたクラブの代表として
大学進学時、僕が選んだのは「アランテスに戻る」ことでした。理由はシンプルで、自分を育ててくれた場所に恩返しがしたかったから。そこから、クラブの法人化やTOPチームの立ち上げ、スポンサー営業など、気づけばこのチームの命綱のような役割を担うようになりました。責任は重いですが、後悔は一切ありません。ピッチではサイドからのクロスやスピードを活かしたプレーでチームを勝たせたい。そして指導者としては、僕自身の「弱さから逃げた後悔」を知っているからこそ、子どもたちに「苦手から逃げない大切さ」を伝えていきたい。誰よりもサッカーに泣かされ、誰よりもサッカーを愛する人間として、猪名川の地で走り続けます。
PHOTO GALLERY
プレー写真
